お盆に思う父のこと
この記事を書いている人 - WRITER -
横浜のアロマセラピストnicoです。子どもの発達を支援するセラピストを目指してただいま勉強中。50歳を過ぎてもまだまだ成長途中です。子育てをする中で感じたこと、勉強して知ったことを見聞録的に綴っています。
いろいろ不思議なことがありました
じいじと孫は大の仲良しでした
私の父は10年前に亡くなりました。 当時、私はアロマセラピストを目指して学校に通い必死に勉強していた頃で、息子は小学2年生でした。 頑固で短気な人でしたが、今考えるとまっすぐで純粋な人だったんだなあと思います。 私と父は誕生日が同じで、女の子だったこともあって、きっとものすごく可愛かったはずです。 実際、すごく愛情をかけて育ててくれました。 ああ、それなのに、それなのに・・・ 私は反抗期が長く、親を素直に受け入れられない時期が長くて、父にも母にもずいぶんと淋しい思いをさせたことと思います。 その反動もあってか(?!)、父は孫である息子のことは全力で可愛がってくれました。 息子を笑わせるために、本気で遊ぶんです。 そんな父に息子も最高の笑顔とケラケラと楽しそうな笑い声で答え、じいじのことが大好きで、二人はいいコンビでした。 父が亡くなる少し前、もう口もきけないほど弱っていたのに、病院にお見舞いに行った息子が帰る時、「じいじ、またね 」 と言うと、父は力を振り絞って両足の裏をパンパンと合わせて、「ま・た・ね」 と冗談を言うほどでした。 父が亡くなった時、息子は自宅に横たわる父の亡骸と、足を触ったり顔を触ったりして楽しそうに遊んでいて、まわりに居た大人はびっくりして見ていました。 「死」 というものがわかっていたのかいなかったのかわかりませんが、亡くなった父の 魂 がそばに居たのではないかと思っています。 彼は小学生までは、少し不思議な感覚を持っていましたから・・・ 父の死後、しばらくしてからチックが始まり、「ママ、しまないで(死なないで)」 とよく言っていましたから、きっと 「じいじとはもう会えない」 ということを彼なりに理解したのだと思います。お盆の足音
父が亡くなって翌年だったか数年後だったかのお盆に、私と息子は母が一人で暮らす実家に帰っていました。 今は別の所に住んでいますが、当時の家はリビングが2階にありました。 息子が近所のスーパーに一人で買い物に出かけ、数分したら階段をトントンと上がってくる足音がしたので、息子が帰ってきたのだと思い、母と同時に「おかえりー」と言ったのですが、誰も上がって来ず 息子はその数分後に「ただいまー」と元気よく帰って来たので、あれ?息子じゃなかったのねと・・・ 母と 「あー、お盆だからじいじが帰って来たんだね」 と話しました。 怖い感じはしなかったですし、それまでそんなことありませんでしたから、きっと父が「帰って来てるよ」と知らせたのだと思います。 「お盆て本当に亡くなった人が帰ってくるんだ! 」と初めて実感した出来事です。じいじの笑い声だ!
それとは別の年、またお盆に息子と実家に帰っていて、母が父にお供えする白玉団子を息子と一緒に作っていました。 つまみ食いをしようとする息子に母は「仏様に一番にお供えするんだよ」 と教え、まずは父にお供えに行った息子。 しばらくしたら、「ママ、今笑った?」 と聞くので、「笑ってないよ。 外を通っていた人の声じゃない?」 と言うと、「あ!じいじだ! じいじが笑ってた 」 とニコニコしながら言うのです。 「そっかぁ、○○ちゃんがお団子作ってくれて、じいじ喜んでるんだね。 お団子おいしかったよって言ってるんじゃない」 と私。 私には聞こえませんでしたが、息子にありがとうと伝えたのだろうなと思います。 今朝話したら、息子は全然覚えていませんでしたがじいじの好きな赤いご飯
父は亡くなってから私の夢には何年もの間一度も出て来ませんでしたが、息子は時々 「じいじが夢に出て来た」 と言っていましたので、息子には会いに来ていたみたいです。 一度、「じいじが何かご飯を作っていた」 と言うので、母が「じいじ、何を作ってた?」 と聞くと「赤いご飯」 と言いました。 母に伝えると、「あー、お父さん、ケチャップが好きで、チキンライスが大好きだったのよね~」 と言ったので、驚きました 私も息子も、父がケチャップが好きだったなんて知りませんでしたから・・・ 生前は自分でご飯なんて作る人ではなかったのに、今は自分で作ってるよと言うアピールでしょうか・・・ 息子は実家に帰ると玄関を入ってまず仏壇の前に行き、お線香をあげて手を合わせる子でした。 そして時々、お経のマネをして、ムニャムニャお経らしきものを唱えていました(笑) 「線香はじいじのご飯だから」と一日に何度もお線香をあげていました。 け、煙い・・・ でも、それは本当に感心しました。 娘の私ですら、よくうっかり忘れて 「ごめんね~」 と謝っていましたから。 父が息子にかけてくれた愛情は、亡くなってもなお息子の心に深く温かく残っていたようです。ついに私の夢にも父現る!
そして、たぶん父が亡くなって6年、7年経ってからでしょうか、ついに初めて父が私の夢に出て来ました。 私が息子の何か発表会、たぶん学芸会みたいなものに行っていたら、カメラを持って父がそこに現れたのです。 夢の中でも私は「父は亡くなっている」 ということはちゃんと認識していて、その姿はいわゆる幽霊だとわかっていました。 父に「久しぶりだね。 ぜんっぜん(夢に)出て来ないね」 と言うと、父がニコニコしながら、 「うん、変わりないから」 と言ったのです。 で、私は理解しました。 父はちゃんと成仏して、「あの世」 で穏やかに暮らしているのだと。 母に伝えると、「あー、よかった! 」 と喜んでいました。 生前の父はカメラが好きで、よくカメラを持ち歩いていました。 アイキャッチの画像、公園での父と息子です。この時も右手にカメラを持っています 夢の中でも、父は孫の写真を撮ろうとしたのでしょう、ちゃんとカメラを持って来ていました。 私は久しぶりに会った、亡くなったとわかっている父と「みんなで一緒に写真を撮ろう」 と言って、腕を組んで写真を撮り、その腕の感覚を目覚めてもはっきり覚えていましたし、いまだにその夢だけは鮮明に覚えています。 その後も一度夢に出て来たことがありますが、その時は遠くから父の姿を確認しただけで、話しをすることはありませんでした。いつかまた会えたら
息子も大きくなってくると父の夢を見ることもなくなったみたいです。 「夢にじいじが出て来た」 ということがなくなり、ちょっと淋しく思います が、きっと父のこと、息子の成長を温かく見守ってくれていると思います。 私もいつか「あの世」 とやらに行って父にまた会えたならば、親不孝をお詫びし、生きている間には話せなかったことをいろいろと語り合いたいと思っています。 不器用な人でしたが、大きな愛で包んでくれていたのを感じます。 息子が小さいうちは、夏休みになるとすぐに実家に連れて帰って、朝夕海に連れて行ったりしていましたが、大きくなるにつれて塾だの部活だのでなかなか帰れなくなりました。 今年もお盆に帰省することが出来ず、お墓参りもかないませんが、こうして父のことを書いていると、懐かしく思い出して、このブログを書きながら一人ニヤニヤしています。 こうして父を思うことがきっと父の供養になると思います。 あー、そろそろまた夢で会えないかなあと思う私でありました
この記事を書いている人 - WRITER -
横浜のアロマセラピストnicoです。子どもの発達を支援するセラピストを目指してただいま勉強中。50歳を過ぎてもまだまだ成長途中です。子育てをする中で感じたこと、勉強して知ったことを見聞録的に綴っています。