横浜の50代セラピストの成長記 まだまだ伸びしろあり

舌癒着症の手術

 
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nico
横浜のアロマセラピストnicoです。子どもの発達を支援するセラピストを目指してただいま勉強中。50歳を過ぎてもまだまだ成長途中です。子育てをする中で感じたこと、勉強して知ったことを見聞録的に綴っています。
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息が止まった!?

快適そのものだった助産院での入院生活もほどなく終わりを迎え、自宅に戻りました。 里帰り出産ではなかったので、退院したその日に実母が手伝いに来てくれました。 私をなるべく休ませようと、昼間は母が息子を見てくれて、私はなるべく横になるようにしていたのですが、母が2回ほど「ちょっと来て! 今、この子、息が止まった!」と言うのです。 「そんなことあるわけないでしょ」と言ったのですが、母は「いや、絶対止まった!」と気にして、息子を注意深くみてくれていました。 最近助産師の友人から聞いたのですが、生まれたばかりの赤ちゃんは、まだ呼吸が整わないので、時々呼吸をするのを忘れることがあるそうです。 知らなかった・・・  

初めての育児は倒れそうなくらい大変でした

10日ほどして母は帰って行きました。 親離れの早かった私は、それまで親と別れて淋しいと思ったことはなかったのですが、さすがにこれから一人で赤ちゃんをお世話していくと思うと、生まれて初めて「帰らないで・・・」と心細く感じたのでした。   そんなこんなで息子と二人きりの生活が始まりました。 息子はよく泣く子で、と言うより一日中泣いているのです ホントに24時間体制で、朝も夜もわからないくらい、ずっと泣いているので、ずっと抱っこしていました。 (おかげで息子の頭はいい形です。私のおかげです 夫は仕事で夜遅~く帰ってきますので、完全にワンオペ育児でした。   昼間なかなか寝なくて、やっと寝たと思ってベビーベッドに寝かせたのに、スーパーの袋が ”カサッ” といっただけで目を覚まし、また泣き始める・・・ 本当は赤ちゃんが寝ている間に食事の支度や片付けをするものなのでしょうが、少しでも音を立てると目を覚まして泣くので、子どもが寝たら私も音を立てないよう、身動きせずにソファにじーっと座っていました。   夜中も1時半まで泣いて、やっと寝たと思って布団に寝かせると2時にはまたぎゃーと泣き始める。 マンションだったので、ご近所さんには迷惑だったでしょうね。   よく育児ノイローゼにならなかったと思います。 夕方になると実家に電話して、泣いている息子に受話器を向けて母に泣き声を聞かせ、「聞いて聞いて。一日中泣いてんの。気が狂いそう」と母に愚痴り、「ホントだね。そんなに泣いたら気が狂いそうだよね。大変だねえ・・・」と言ってもらって気が済んで電話を切るということをしていました。   その当時は夫の実家から歩いて5分くらいのマンションに住んでいましたので、実母が帰ってからは義母に夕方30分か1時間くらい来てもらい、息子をみてもらっている間に、私はお風呂に入ったり、ご飯の支度をしたりしていました。 息子は私と二人だとあんなに泣くのに、義母が抱っこしている時には、すやすや寝ているのです。 そして、義母が帰って玄関のドアがパタンと閉まると同時にまた「ホギャ~」と泣き始めるのです。 だから、義実家は私がこんなに大変な思いをして育児をしていたなんて、全く気付いていませんでした。   夜10時半になっても自分が食べる晩ご飯さえ作れていなくて、途方にくれている所に夫が帰ってきて、「ちょっと抱っこしてて」と慌ててご飯を作るなんてことも珍しくありませんでした。 夫は毎日毎日遅くて、全くあてになりませんでしたので、24時間ワンオペです。 完全なブラック家庭です   そういう訳ですから、出産して1ヶ月後には、妊娠前よりも3キロも減っていました。 寝れない、食べれない、一日中抱っこなのですから、もうフラフラでした。 私は息子が初めての子どもで他に兄弟が居なかったので息子一人に集中できてまだよかったのですが、もし他に兄弟が居たら完全に八方塞がりになっていたと思います。   あまりの大変さに、息子のへその緒が取れて、乾かしてから桐の箱にしまおうとサイドボードの上に置いていたのをすっかり忘れてしまい、引っ越しの時にへその緒を紛失してしまいました。 あーあ 無くしたと気付いた時はショックでしたが、まあ男の子だし、ごめんねで済ませようと開き直りました  

息子の苦しさ

初めての子どもで他の赤ちゃんと比べようもなかったのですが、息子は寝ない、一日中泣いているだけではありませんでした。 新生児だというのに、いつも眉間にシワを寄せていました。 なんでいつもそんなに難しい顔をしているんだろうって思っていました。 それから、首も据わっていないはずなのに、身体がピキーッと一直線に硬く、もう首が据わったのかと思うほど。 そんな状態なので、当然抱っこしてもしっくり来ないのです。 赤ちゃんの勉強をした今では、もしかして首の緊張を緩めてあげるだけで少しは楽にしてあげられたかと思いますが、その頃はそんなこと全然知りませんでした。   おなかはカエルのように膨らんで、おむつをはずすとうんちがピューッと勢いよく飛んで来るほどでした。授乳の時にいっぱい空気を吸ってしまって、おなかに空気がたまり苦しかったのだと思います。   口の周りはうっすらと黒くなっていましたので、今考えると酸素不足でチアノーゼだったのでしょう。   そしてよく生あくびをしていました。脳への酸素が不足していたのでしょう。   おっぱいも飲むのが下手くそで、飲んでいる間に寝てしまうのです。 他の赤ちゃんを知りませんので、そんなものかと思っていましたが、それは飲むのに疲れて寝ていたみたいなのです。 おまけに上手くくわえられないので、私のおっぱいは水疱が出来、すぐに潰れて乳頭亀裂となり、授乳のたびに頭のてっぺんまでキーンと響くほどの痛みとなりました。 「こんな痛み、卒乳までなんて耐えられない! 授乳し続ける自信ない」 と、息子を産んだ助産院に何度かおっぱいケアをしてもらいに行きました。 そして、言われたのです。 「nicoさん、2ヶ月も経てばみんなおっぱいのトラブルも落ち着いてくる頃なのに、nicoさんはいまだにトラブルがあるのは、赤ちゃんの舌に問題があるのかもしれないよ。いい先生が居るから、診てもらったら?」 その時初めて舌癒着症なんて症状があることを知ることになったわけです。  

舌癒着症とは

舌癒着症とか舌小帯短縮症とか言います。    (仁愛会歯科 Blogよりお借りしました) ここが短くて、舌が自由に動かないのです。 息子の泣き声が高いのも、そのせいだったみたいです。  
正しくは、“先天性舌癒着症、喉こう頭蓋とうがい・喉頭偏位症こうとうへんいしょう”といいます。それこそなんだか舌を噛みそうな名前ですね。 これは、下あごに付いている舌の位置が先天的に前方に位置しているために、舌がヒキツレ(ひきつった状態)を起こし、舌の後ろにある喉頭蓋(のどの奥にあり、誤って気管に食事などが入り込まないようフタの役目をする部位)や喉頭全体が前上方に引っ張られたり曲がったりした状態のことです。当然、呼吸をつかさどる喉頭がゆがむので、呼吸が制限されてしまいます。 このままの状態でいると、乳児ではおっぱいを飲みたくてもうまく飲めない、よくむせる、途中で飲むのをやめてしまう、などが起こります。その結果、母親は乳腺炎や乳頭亀裂をきたしやすく、ほ乳行為に苦痛を伴ってしまいます。他にも寝つきが悪く、乳児でもいびきや睡眠時無呼吸症をきたす場合もあります。 一方小児では、歯並びや姿勢の悪さ、声が小さい、発音が悪い、協調性に乏しい、落ち着きがない、怒りっぽい(キレやすい)、依存心が強く甘ったれ、いびき、睡眠時無呼吸症、などの症状が現れます。 そして、成人ではこれらの症状に加え、肩こり、腰痛、冷え性、肌荒れ、顎関節症など多岐にわたる症状を呈するようになります。特にいびき、睡眠時無呼吸症は重症例が多く、二次性高血圧や不整脈、糖尿病などを引き起こす原因にもなります。 治療法は手術療法です。舌の付け根の部分を局所麻酔(年齢によっては全身麻酔)でレーザーを用いて切り開き、その奥にある頤(い)舌筋ぜつきん(「おとがいぜつきん」とも言う)を切開します。この筋肉は喉頭開大筋であり、のどを開く筋肉です。この筋肉のヒキツレを切ってあげることで、のどの位置は正しくなり呼吸が楽になるため、さまざまな症状が改善されるというわけです。赤ちゃんから大人まで手術は日帰りで可能です。 日本におけるこの手術のパイオニアである向井診療所の向井將(すすむ)先生によると、乳児のほ乳の改善率は80%以上であり、小児や成人のいびき・睡眠時無呼吸症も70~80%と高率の改善が見られます。さらに、小児では集中して物事に取り組むことができるようになり、学校の成績が上がったとか、コミュニケーションが図られるようになり、友人が増えたなどが、また大人では睡眠が深くなり日々の疲れが取れた、肩こり、腰痛、冷えなどが改善し生き生きしてきた、など手術を受けた方々の喜びの声を多く聞きます。 (引用:舌癒着症とはどんな病気でしょうか ― 舌癒着症学会)
  上記に加え胎内記憶の研究で有名な池川明先生の記事がありましたので、参考にリンクを貼らせていただきました。 2006年の段階では乳幼児の突然死との関係も研究されていたみたいです。 http://www.30ans.com/memory/backnumber/200607.html  

舌癒着症の手術を受けました

大和市の向井診療所を受診し、説明会に夫と参加しました。 この診療所は舌癒着症の手術で有名なところで、全国から患者さんが集まって来ます。 息子が手術を受けた頃は、この手術をしてもらえるのは全国でもここと山口県に一軒あるだけだったと思います。 向井先生の癒着症に対する考え方は口腔外科での器質性に着目されたものとは異なって、性格や姿勢にまで影響を及ぼすという独自のお考えのもので着目点が違いました。   向井先生は、華岡青洲の3代目のご子孫だそうで、裸足に下駄というバンカラな出で立ちで、立ったまま診療をされる先生でした。 息子の顔を見るなり、「ああ、この子は手術した方がいいね」と言われました。   2階で行われた助産師さんが説明する説明会には多くの方が参加されていました。   すっごくすっごく悩みました。 説明会に行ったのが生後2ヶ月の頃。 生後3ヶ月以上だと全身麻酔になる、3ヶ月までなら部分麻酔で済むと言われ、当然部分麻酔希望だったのであと1ヶ月しか猶予がない! おっぱいを飲めなくなるリスクもあるということだったし、そもそもこの手術は本当に必要なのか? 手術したらどんなことが起きるのか・・・インターネットで必死に情報を集め、2週間くらい悩みに悩みました。   私は手術を受けようというほうに気持ちが傾いていましたが、夫も義両親も「病気でもないのに、2ヶ月の子にメスを入れるなんて!」と手術には反対でした。   最終的には、実母に相談したときに「ああ!そんなことがあるの! だから息が止まったのかもしれないね。 ずっと泣いているし、おかしいもん。 それは絶対手術したほうがいいよ!! 手術の時は行ってあげるから、手術しなさい。」と背中を押してもらい、やっと決心出来ました。   手術を受けたのは生後3ヶ月になる前、ぎりぎりのところだったように記憶しています。 手術の日は夫と実母と私と息子、4人で診療所に向かいましたが、私のほうが緊張しておなかが痛くなりました   当日の細かい手順は忘れてしまいましたが、その日手術を受ける赤ちゃんが何人もいて、鎮痛剤代わり?の座薬を入れて順番を待ちました。・・・が、息子はあまりに大泣きしたため、入れた座薬がすぐに出て来て、ちゃんと鎮痛が効いていたのかどうかは定かではありません。   タオルにくるんで看護師さんに渡した息子は、わりと早く戻ってきたように思います。 息子の泣き声を遠くに聞きながら、ドキドキしながら待ちました。 「はい」と息子を私の手に戻された瞬間に、息子の変化がわかりました。   今まで力を入れてピーンと突っ張っていた身体が、ふんわりと丸くなり、私の腕にすっぽりと収まったのです。 その感触は生まれて初めて味わうものでした。 一緒に戻された紙に息子の重症度が書いてありましたが、最重度だったか、そのすぐ下のレベルだったみたいで驚きました。 あの紙どこに行ったかしら・・・   私が覚えているのは、向井先生が「この子、そのうち目が合ったらケラケラ笑うようになるよ」と言われたこと。 「えー!? 本当に笑うようになるの?」と本気で疑心暗鬼だった私・・・ そのくらいしかめっ面の赤ちゃんだったのです。   そして私は覚えていませんが母が言うには「この子いい子になるよ~。僕と一番に目が合った!」 と言われたそうです。 先生の予言通り、本当にいい子に育ちました   入院設備は無いので、遠方からの患者さんは近くにホテルを取るそうです。 みんなホテルに泊まって、次の日に診察してもらわなければいけないのです。 手術で切っても、すぐに癒着することがあって、再びひっつきそうになれば、はがさないといけません。 ずいぶん遠くから一人で赤ちゃんを連れてきていた若いママには思わず「うちに泊まりますか?」と声をかけたくなりました。 どんなに心細かったかと思います。   息子は副鼻腔炎もあったので、毎日診察に来なさいと言われ、しばらく毎日電車に乗って通いました。 当時は珍しかったスリングに入れて抱っこしていると、何が入ってるのかとのぞき込まれることもありました  

術後の変化

それからの息子は、手術の効果が著しく、生活が180度変わりました。 心配していた授乳も問題なく継続できましたし、私のおっぱいのトラブルも解消し、あれだけ泣き続けていたのに、そんなに泣かなくなりました。 授乳で目が合わなかったのですが、しっかり目が合うようになりました。 あんなに突っ張っていた身体もふにゃっと柔らかくなり、私の腕の中にふんわりと収まるようになりました。 スーパーの袋のカサッという音で起きることも無くなり、眠りが深くなりました。 90%ちょいだった酸素も98%くらいまで増えましたので、生あくびやチアノーゼも無くなりました。 授乳で空気を飲むことが減ったので、おなかもカエル腹ではなくなりました。 身体がむくんでいたのかどうかわかりませんが、ずっと一重だった息子の目が、手術のあとはくりくり二重になりました。 我が家に平和が訪れました。   他の家族が一緒だとそんなに泣かないのに、私と二人だとあんなに泣いていたのは、母親である私に「早く気付いて!」と息子からのSOSだったのだと思います。 気付かずにずいぶん苦しい思いをさせてしまい、可哀想なことをしました   そして忘れもしない、それから1ヶ月くらい経ってからの初帰省の日、玄関で靴を脱ぐ私から母がさっさと息子を受け取り、リビングのある2階に連れて行った途端、ケラケラと笑う息子の笑い声が聞こえて来ました。 生後3ヶ月半くらい経って初めて聞いた息子の笑い声でした。 父の顔を見て、初めて声を出して笑ったのです。 父が大好きだった息子は、父とご対面となった途端、感じるものがあったのでしょう。 「先生が言ったこと、本当だ! 笑った!」なーんて、子どもが笑うくらい当たり前なのに、「この子が笑うなんてことあるの?」と想像も出来なかった私は重症でしたね  

舌癒着症の手術の賛否

私は今回、もし悩んでいる方がこのブログにたどり着いたらと思い、我が家の体験をお話ししましたが、決して手術を勧めているわけではありません。   我が家にはすっごくいい選択でしたが、実は舌癒着症の手術は賛否両論です。 と言うより、小児科学会、小児外科学会ではいまだに「そんな手術必要ない」というのが総意の見解のようで、どこの小児科に連れて行ってもこの手術には反対されるみたいです。 たぶん未だに変わっていないと思います。 ネットでもずいぶんこの考えを否定されるお医者さんもお見かけします。   私は手術をするという選択をしましたが、もちろん手術しないという選択もあるわけで、お母さんがお子さんのことを第一に考えての選択であれば、どちらが合っていてどちらが間違っているというわけではないと思います。 よく調べてみて、そのうえでお母さんの直感を信じて決めるならば、それがどちらの決断でも正解なのだと思います。   私はと言えばもしあの時に戻ったとしても同じ選択をするし、私のあの時の選択は絶対に間違っていなかったと胸を張って言えますが、同じ時に手術をした友人のお子さんは「全然変化がなかった。しなくてもよかった。」と言っていましたので、後悔のないように選択すればそれが最良の選択だと思います。   息子を助産院で産んだからこそ、舌癒着症のことを教えてもらえて、あの手術のおかげで息子も苦しさから解放され、私の子育ても180度変わったのですから、受診を勧めてくれた助産師さんには感謝しかありません。   それも息子を助産院で産んでよかった理由となりました。   長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました すっきりしました   終わり  
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